セリーヌ・ディオンは2013年、新しいアルバムの歌い方を説明するために、電話口で歌ってみせました。
以前の自分なら言葉の終わりを長く伸ばしていただろうが、今回はそうしていない。
低くざらついた声も使っている、と話したのです。
「All By Myself」の高音を思い浮かべると、ずいぶん違う方向の話に聞こえます。
けれど、セリーヌはいつも同じ声の出し方を守ってきた歌手ではありません。
1990年代に求められた高音、2013年に試した歌い方、そして活動を休んだ後の歌までたどると、変化を単なる声の衰えだけでは説明できないことが分かります。
フランス語の少女歌手が、英語でも歌うようになる
セリーヌの最初の舞台は、英語のポップスの世界ではありませんでした。
ケベックで育ち、1981年にフランス語の歌手としてデビューしています。
その後、1988年にはユーロビジョンで優勝し、1990年には初めての英語アルバム『Unison』を発表しました。
本人は、若い頃から英語の曲を歌いたかったと話しています。
兄や姉が聴いていたアレサ・フランクリン、ティナ・ターナーらの音楽に親しみ、英語の意味を十分に理解できない頃から、歌うこと自体を楽しんでいたそうです。
やがて英語を学び、言葉の意味も自分でつかみながら、海外の作り手と録音するようになります。
声の持ち主は同じでも、歌う言語が増えれば、言葉を置くリズムや、曲に求められる表情も増えます。
1995年のフランス語アルバム『D’eux』では、作詞・作曲を手がけたジャン=ジャック・ゴールドマンと、発音や装飾を整理した歌い方を作りました。
一方、英語の作品では、大きな高音を生かすバラードも代表曲になっていきます。
1996年、「All By Myself」で求められた高音
1996年のアルバム『Falling into You』に収められた「All By Myself」は、セリーヌの高音を代表する録音の一つです。
静かな部分から大きな山場へ向かう曲で、後半の長い高音が、歌全体の強い印象になっています。
その高音は、セリーヌが最初から当然のように歌うつもりだったものではありませんでした。
プロデューサーのデイヴィッド・フォスターが、録音前に編曲を変え、予定より高い音を求めたのです。
セリーヌが不安になると、フォスターは、歌えなければ隣のスタジオのホイットニー・ヒューストンに頼める、という言い方で彼女を刺激しました。
後年も本人たちが語っている、あの高音の裏側の出来事です。

この話では、高音は歌手の能力を測る数字である前に、曲をどう盛り上げるかという制作上の狙いでした。
セリーヌの声なら、最後にもう一段大きな驚きを作れる。
作り手の期待に応えた録音が、聴き手にとっての「セリーヌらしい歌」を形作っていきます。
1997年には『タイタニック』の主題歌「My Heart Will Go On」も加わりました。
こうした大きなバラードの成功を経て、彼女の名前から、長く伸びる高音を思い浮かべる人が増えたのも自然なことです。
ただ、その期待を受け続けた本人は、後に別の歌い方へも興味を向けています。
2013年、言葉を長く伸ばさない歌を選ぶ
2013年の英語アルバム『Loved Me Back to Life』で、セリーヌが変化の例に挙げたのが「Water and a Flame」でした。
もとはダニエル・メリウェザーとアデルが歌った曲です。
セリーヌはこの曲で、低めでざらついた声を使い、言葉の終わりを以前の自分ほど長く伸ばさない歌い方をしています。
本人は、昔なら最後の単語の母音を長く引っ張っていただろうと、かつての自分の歌い方も再現して説明しています。
今回は、いつもの立派なロングトーンへ持っていくことよりも、その曲の言い回しを楽しんでいたのでした。
高い音を低い音へ取り替えるだけでなく、一つの言葉にかける時間も変えています。
長く伸ばすと、聴き手は一つの音の美しさや、声を保つ力に耳を留められます。
短く切り上げれば、言葉は次の言葉へ進み、違うリズムが生まれます。
「All By Myself」の長い高音とは、声に注目させる方法そのものが違うのです。
同じ時期、セリーヌは、録音で声につける残響も少なくしたと説明しています。
残響とは、声が広い部屋の中へ尾を引いて響くような効果です。
それを減らし、近くで歌っているような感触を目指したので、変わったのは歌手の声だけではなく、その声を聴かせる録音の仕上げ方でもありました。
もちろん、このアルバムで大きな歌をすべてやめたわけではありません。
タイトル曲「Loved Me Back to Life」では、シーアの書いた旋律と強いビートにも取り組んでいます。
低く親密に歌う曲も、新しい響きの大きな曲も、一枚の中で試していました。
この頃の本人は、長く伸ばすことや高く歌うことを音楽業界から求められた時期があった、と振り返っています。
歌手同士が望んで競争していたという意味ではなく、周りが求める見せ場が、その方向へ集まっていたのだと説明しました。
そこから先へ進みたいという気持ちも、新しい曲を歌う楽しさにつながっていたのです。

歌い方を選ぶことと、思うように歌えないこと
その後の声の変化を考えるときは、本人が表現として選んだことと、病気によって難しくなったことを分ける必要があります。
2022年、セリーヌはスティッフパーソン症候群の診断を公表し、舞台へ戻れない状況を伝えました。
どの音色で歌うかという工夫に加えて、歌うこと自体の難しさも、公に語られるようになったのです。
2024年7月26日、パリ五輪の開会式では、エッフェル塔からエディット・ピアフの「Hymne à l’amour」を歌いました。
長い活動休止の後で、再び大きな場で歌う姿が見られた公演です。
この曲を選んだ芸術監督のトマ・ジョリーは、愛を歌って式を閉じるために、セリーヌへ頼みたかったと説明しています。
単に元気な姿を見せる出番ではなく、式の最後に一曲を託されたのでした。
その背景を知ると、この歌を聴く関心も、昔と同じ高音が出たかどうかだけには収まりません。
一度の公演から、その後の長い公演活動まで同じようにできると判断することはできません。
それでも、歌えない時間を経て、彼女が再び一曲を届けた事実は残ります。
昔の録音と聴き比べるときにも、声の違いに加えて、その歌が実現するまでの事情が意味を持つようになりました。
2026年、ゴールドマンの新しい曲を歌う
2026年4月には、ゴールドマンが書いたフランス語の新曲「Dansons」が発表されました。
『D’eux』や2016年の「Encore un soir」で組んだ二人の、新しい仕事です。
セリーヌは同年9月からのパリ公演も発表しており、この記事を書いている9月10日時点では、その開幕を控えています。
「Dansons」は、ゴールドマンが2020年、人々が家に閉じこもりながらも踊っていた時期に書いた曲でした。
困難が消えるまで待つのではなく、不安定な世界の中で、それでも踊ろうとする歌です。
長い休止の後にセリーヌが歌うことで、作られた当初とは違う出来事も、その歌に重なります。
ゴールドマンと最初に歌い方を組み立てた『D’eux』での試行錯誤は、セリーヌ・ディオンの歌い方で詳しく扱っています。
1995年の仕事を知ってから2026年の曲へ進むと、懐かしい作り手との再会も、昔の録音を再現するだけの出来事ではないと分かります。
高音の記憶を残したまま、ほかの歌い方も聴く
セリーヌの変遷には、一直線に声を強くしていく物語とは違う面白さがあります。
1990年代には、作り手の期待を受けて、長い高音が強烈な見せ場になりました。
2013年には、本人が低くざらついた声や、言葉を長く伸ばさない歌い方を面白がっています。
さらに活動休止を経て、2024年の五輪の歌、2026年の新曲へと続いています。
「All By Myself」の高音が好きなら、その魅力はそのままでよいのです。
そのうえで「Water and a Flame」では、声をどれだけ長く保つかより、言葉をどこで終えて次へ進むかを聴いてみる。
同じ歌手が違う曲で何をしようとしていたかに気づくと、昔と今の声を、勝ち負けのように比べずに楽しめます。
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