シーアは2016年、ほかの歌手のために書いた曲を自分で歌うアルバム『This Is Acting』を出しました。
相手が採用しなかった曲を集めたという説明だけでは、この作品の面白さは尽くせません。
彼女はその何年も前、自分の歌声は好きな歌手たちのまねが混ざってできたものだと話していました。
「自分の声」を見つけた人が、今度は別の人の歌を想定して書き、そこで自分の声を鳴らす。
何が変わったのでしょうか。
2004年の「Breathe Me」、2011年の「Titanium」、2014年の「Chandelier」、そして『This Is Acting』へ。
声域が伸びたという一本線ではなく、誰に向けて書き、誰の声として世に出すかという選択をたどります。
2004〜2008年──自分の声を、少し離れた場所から聴く
「Breathe Me」を収めた『Colour the Small One』は2004年の作品です。
米国ではドラマ『Six Feet Under』の最終回で曲が使われ、シーアを知る人が増えました。
その頃の彼女には、Zero 7への参加とソロ活動の両方があり、後年のポップ・ヒットだけでは語れない長い歌手歴があります。
2008年、シーアは自分のMySpaceページを開き、そこから流れた自分の曲を初めて少し離れた気持ちで聴いたと話しました。
ほかの誰かが自分へ歌っていると想像したら、慰められたというのです。
人に向けて出した歌を、歌った本人もまた受け手として味わった。
自分の声が手を離れ、別の人の言葉のように戻ってくるという、不思議な経験です。

写真:AZAdam / CC BY-SA 2.0
同じ取材で、歌い方についても尋ねられています。
シーアは、好きな歌手たちをまねて歌うことを続けるうち、それぞれが混ざり、オリジナルの曲を書くと誰か一人の声へは戻れなくなったと説明しました。
「まねをやめた日」に突然独自の声が生まれたという話ではありません。
借りてきた歌い方が、曲を書く経験の中で本人にもほどけない一つの声になっていったのです。
2008年のアルバム『Some People Have Real Problems』では、彼女は主に生演奏で録りたいと話し、友人たちにコーラスを頼んだ曲もあります。
「The Girl You Lost to Cocaine」のような曲も収めたこの時期を、静かな「Breathe Me」の延長だけと考えると見落とすものがあります。
まだ大規模なダンス・ポップへ進む前から、誰と歌い、どんな曲を自分の盤に入れるかを試していました。

写真:savoryexposure from Atlanta, GA, USA / CC BY-SA 2.0
2011年──「Titanium」の仮歌で、作家の声が表に出る
ここで話が急に「歌手から作家へ」変わったわけではありません。
2008年の取材で、シーアはすでに、ほかのポップ歌手へ渡すつもりで書いた曲が自分のアルバムにも入ったと話しています。
歌う仕事と人のために書く仕事は、彼女の中で早くから行き来していました。
それでも2011年の「Titanium」は、その境界を思いがけない形で越えます。
ダヴィッド・ゲッタの曲のために入れたシーアの声は、完成品として前へ出るつもりの歌ではなく、歌い手へ曲を伝える仮歌でした。
ところが実際に発売された録音には、その声が残っています。
シーアは後の取材で、自分は作家として裏方へ移ろうとしていたため、仮歌の公開に動揺したと話しました。
2008年には、自作曲を「誰かが自分に歌っている」と想像して慰められた人が、今度は誰かに歌ってもらうための声を、多くの人に自分の歌として聴かれることになった。
この逆転は、音楽の規模が大きくなったというだけの話ではありません。
作品に残すはずのなかった仮歌が、歌手シーアの存在を広く知らせました。
後年、評論家エイミー・クリフは、均整の取れたダンス・ポップの中でシーアの粗さを含む声が際立つと論じています。
これは評論家の聴き方であり、仮歌だったから声が変化したという証明ではありません。
ただ、別の歌手に渡す想定の曲に、シーア自身の歌声が強く残ったことの意味を考える手掛かりになります。
2014年──渡すつもりの曲が、自分に近いと気づく
「Chandelier」を書いたときも、シーアは最初から自分の新曲として決めていたわけではありません。
共作者のジェシー・シャトキンによると、当初は別の歌手に渡すことも考えていましたが、シーアは自分のアルバムに収めると決めました。
仕事として曲を書くことと、自分で歌うことが、この曲では重なりました。
その判断には、歌詞との距離が関わっていました。
シャトキンは、書いた物語が自分に近いとシーアが気づいた、と説明しています。
本人も、夜遊びを楽しむ女性の歌が多い中で、別の角度から描きたかったと話しました。
曲を手元へ残した理由は、大きなサビが歌えるという得意分野だけでは捉えきれません。
自分が語りたいことが、他人へ渡すつもりだった曲の中に現れたのです。
曲を生む手順にも、以前との違いがありました。
2015年の本人の説明では、かつては共作者と一から作ることが中心でしたが、この頃には、用意された伴奏を初めて聴きながら歌い、その声を録る仕事も増えています。
どの伴奏と自分の旋律を組み合わせるかを選び、歌詞までできたところで、自分で歌いたい曲だと気づくこともある。
歌い手を先に決めてから曲を書くとは限らなくなっていました。
『1000 Forms of Fear』で彼女の声は、ソロ歌手として再び大きく届きました。
ただし、本人は前へ出ることを無条件で望んだわけではありません。
2015年の取材では、歌手としての契約や活動の形を考え、宣伝やツアー、映像への出演を抑えられる条件を選んだと話しています。
声を聴いてほしいが、自分の顔や生活まで差し出すつもりはない。
その境界を引きながら、ポップ歌手としての作品を出したのです。
この選び方を支えたのは、作家としての仕事でもありました。
すでに曲を書くことで生活できていたため、通常の宣伝方法に従わないソロ作が成功しなくても試せた、と本人は振り返っています。
裏方の仕事で得た足場が、自分の歌を出す際の自由にもつながりました。
「Chandelier」の高音が、曲の人物の切迫した気持ちとどう結びつくかは、シーアの歌い方で詳しく扱っています。
ここで重要なのは、彼女がその曲を誰に歌わせるかを変えたことです。
歌声の表情だけでなく、声の持ち主を決める立場も変わりました。
2015〜2016年──『This Is Acting』で、他人のための曲を引き受ける
2015年に先行した「Alive」は、アデルらと書いた曲でした。
アデルのアルバムに入らなかったあと、シーアが自分の声で発表します。
2016年の『This Is Acting』には、このようにほかの歌手を想定して書き、自分が歌うことになった曲が並びます。
リード曲を自分の経験に引き寄せた「Chandelier」と、当初から別の人へ向けて書いた曲では、出発点が違います。
他人のために書くときも、本人の経験から遠ざかるだけではありませんでした。
シーアによると、共作では相手が今どんなことを経験しているか、話を聞いてから書き始めます。
自分の内側から言葉を探す方法に、相手の話を受け止めて歌へする方法が加わった。
別の人を想定した歌にも切実さがあるのは、そうした作り方とも結びついています。
『This Is Acting』という題には、初めから自分の言葉として書いたわけではない曲を歌う、という意識があります。
2016年の取材でシーアは、ポップのために書くようになって歌詞をもっと単純にしたと振り返り、リアーナ向けに考えた「Cheap Thrills」が相手の求める曲と違ったことも話しました。
誰にでも同じ曲を渡していたのではなく、相手を思い浮かべて作る仕事だったのです。
それでも、シーアが歌えば、予定した歌手の声をそのまま再現する作品にはなりません。
『The FADER』は2016年、ヒット曲向けに書いた分かりやすいポップと、彼女特有の不揃いな歌声が同居していると評しました。
『This Is Acting』の面白さは、「本当の自分」だけを歌うことをやめた結果、本人の声まで消えたわけではないところにあります。
2008年に話していた「まねた声が混ざって自分の声になる」という経験は、ここへつながります。
自分の盤で歌い、人へ渡す曲も書いてきたシーアが、他人を想定した歌を一枚のアルバムで自ら歌う。
同じ声の役割が増えました。
「Titanium」の仮歌が広まったとき、シーアはそれを望んでいなかったと語っています。
数年後の『This Is Acting』では、誰かのために考えた曲を自分で歌うという選択をしました。
この二つを「最初から歌いたかった」と結んでは、彼女の歩みから肝心な部分が抜けます。
出すつもりのなかった声が世に届いた経験を経て、どの歌を自分のものとして残すかを選ぶ。
そこに、この時期のシーアの歌声の変遷があります。







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