ボン・スコット(AC/DC)の歌声の変遷|旋律を伸ばす声から、言葉で人物を描く歌へ

1976年のAC/DC公演/中央がボン・スコット(Dick Barnatt撮影) シンガー
1976年のAC/DC公演/中央がボン・スコット(Dick Barnatt撮影)

ボン・スコットの歌は、AC/DCに入って突然生まれたものではありません。
二人で歌うポップ・バンド、旋律を大きく描くFraternity、速いカントリーを演奏する仲間たち。
そうした場を通り、荒い声と言葉の面白さが一体になった、あの歌い方へたどり着きます。

さらに「Highway to Hell」へ至る頃にも、録音で呼吸を整える課題がありました。
出来上がった個性を繰り返していただけではない。
声に何を残し、歌う場所に合わせて何を変えたのかを、AC/DC以前から最後のアルバムまでたどります。

1960年代のValentines――二人の歌手の一人だった

Valentinesでは、ボンはヴィンス・ラヴグローヴと歌を分け合っていました。
当時を知るジョニー・ヤングは、後方でハーモニーを歌っている時には目立たなくても、ステージではボンが主役になったと振り返っています。
周囲の声に合わせる役割と、人を引きつける存在感が同居していた時期です。

ただ、本人はバンドが行き着くところまで来たと感じ、音楽をもう一度始め直したいと考えていました。
次に加わるFraternityのブルース・ハウは、Valentinesではボンが十分に生かされていないと見ていました。
二人のうちの一人から、バンドの中心を任される歌手へ。
まず変わったのは、声を使う立場でした。

1970〜1973年のFraternity――旋律を担う声が前へ出る

Fraternityの鍵盤奏者ジョン・ビセットは、最初からボンを高く買っていたわけではありません。
Valentinesのポップな印象があり、加入には懐疑的でした。
ところが一緒に過ごすうち、本人の人柄と歌の才能に引かれていきます。
後に気に入った録音として挙げた「Seasons of Change」では、ボンの歌とバンドの編曲がよく合っていると評価しています。

「Seasons of Change」/1971年のテレビ番組「GTK」出演。

1971年の『Livestock』、翌年の『Flaming Galah』で歌っているのは、後のAC/DCとは編成も曲の作りも違う音楽です。
「Raglan’s Folly」のようなプログレッシブ・ロックの側面と、「Somerville」のようなカントリー寄りの曲が並ぶ。
一つの勢いを押し通すだけでは扱いきれない、曲ごとの広がりがありました。

この時期の声について、批評家バート・ビールミアは、ボンと分かる音色の中に、後のAC/DCではそぎ落とされるビブラートがあると指摘しています。
音を伸ばした先で揺らす歌い方も、初期のボンにはあった。
後年の簡潔で鋭い歌だけを基準にすると、見落としやすい違いです。

ボンを前へ立たせたことは、楽器を弾くメンバーにも変化をもたらしました。
ハウは、自分たちが演奏に集中できるようになったと話しています。
歌手が中心を引き受けることで、周囲も持ち場を果たしやすくなる。
Fraternity時代には、ボンが前へ出ることで、バンド全体の役割分担も変わりました。

Fraternity時代のボン・スコット/中央(Hamish Henry撮影)
Fraternity時代のボン・スコット/中央(Hamish Henry撮影)。
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1974年――カントリーの現場を経て、AC/DCへ

1974年に参加したMount Lofty Rangersでは、速いブルーグラスも歌っていました。
中心人物のピーター・ヘッドは、大人数のギターやドラムを越えて声が届いたことを覚えています。
ボンが好んでいたのはロックだけではなく、カントリー、ブルース、ジャズにも関心がありました。

同じ1974年、ボンはAC/DCへ加入します。
本人は後の取材で、バンド側が自分を叫ぶタイプの歌手だと知っていて、仕事のなかった自分に声をかけたと説明しています。
さまざまな音楽を歌ってきた経験の中から、前へ突き抜ける声が、新しいバンドで必要とされたのです。

1975年のオーストラリア盤『High Voltage』と『T.N.T.』の楽曲は、1976年の国際盤『High Voltage』へ選び直されました。
同じ題名でも、オーストラリア盤と国際盤は収録内容が違います。
国際盤の「It’s a Long Way to the Top」や「Rock ’n’ Roll Singer」には、成り上がろうとする気持ちや、その途中の苦さを歌うボンがいます。

マルコム・ヤングは、ボンの話すような歌い回しに、アレックス・ハーヴェイの影響を感じていました。
AC/DCでは、旋律とともに言葉の面白さが前へ出てきます。

1976〜1978年――強がる人にも、弱った人にもなれる

1976年の「Ride On」では、旅を続ける人の寂しさが歌の中心になります。
強気な歌で知られる声が、孤独や疲れを抱えた人にも近づいていく曲です。

1978年の『Powerage』になると、暮らしの苦しさを描く「Down Payment Blues」や、関係の行き詰まりを歌う「Gone Shootin’」が並びます。
デフ・レパードのジョー・エリオットが評価するのも、ボンの荒い声にある情感とユーモアです。
特に「What’s Next to the Moon」の歌を挙げ、バンドが生で鳴る感触を捉えたアルバムとして『Powerage』を愛しています。

ここまでの変化は、年を重ねて声が弱くなったという話ではありません。
AC/DCの中でも、歌う人間の姿が広がったということです。
相手を挑発する時と、自分の行き場のなさを口にする時。
同じざらついた声が、どちらの人物にも説得力を与えています。

1978年10月9日、ボストン公演/左端がボン・スコット(Ron Pownall撮影)
1978年10月9日、ボストン公演/左端がボン・スコット(Ron Pownall撮影)。
画像出典:画像掲載元

1979年のHighway to Hell――個性を残したまま、録音を磨く

『Highway to Hell』では、プロデューサーにロバート・ジョン・“マット”・ラングを迎えました。
録音の進め方が変わっても、マルコムによれば、バンドで一緒に基本の演奏を録る土台は残っています。
生の勢いと、スタジオで細部を詰める作業が組み合わされた作品でした。

ミックスを担当したトニー・プラットも、こうした録音の熱気はバンド自身が生むもので、それを失わないことが仕事だと話しています。
一方で、目の前の姿が見えないレコードには、演奏の魅力を音だけで伝える準備が要る。
ボンの強烈な存在感を録音へ収めるにも、ステージの再現だけでは済まない面があったのです。

「If You Want Blood(You’ve Got It)」の録音で、ボンの声よりも息が目立ってしまった時、ラングは呼吸を整えるよう助言しています。
強い個性を持った歌手にも、息と声の釣り合いを調整する課題がありました。

それでも、タイトル曲の声から荒々しさが消えたわけではありません。
「Highway to Hell」の歌唱を評したスティーヴ・ヒューイは、うなりや鋭い叫び、それを遊び心とともに使うところに熱気を見いだしています。
整えることは、声の性格を無難にすることとは違いました。

『Highway to Hell』が大きな成功を収めた翌年、1980年にボンは亡くなります。
後任のブライアン・ジョンソンが歌う『Back in Black』へ進む前に、ボン自身の歩みは途切れました。

二人でハーモニーを歌った時代から、旋律の揺れを生かしたFraternityへ。
そこからAC/DCで言葉の鋭さを際立たせ、最後には呼吸や録音の細部も磨いていく。
ボンの声の変遷は、荒くなる一方の道ではなく、持っている声のどの部分を使うかが変わっていった道として見えてきます。

曲ごとの声の選択は、ボン・スコット(AC/DC)の歌い方で掘り下げています。

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