クリス・ハートの歌を、澄んだ高音で日本の名曲を歌う人、という印象で覚えている方は多いでしょう。
ただ、その歌声ができるまでと、そこから先には、いくつもの選び直しがありました。
低い声でロックを歌っていた時代から、高音を使うバラードへ。
さらに活動再開後には、代表曲「I LOVE YOU」さえ、以前とは違う強さで歌い直しています。
変わったのは、出せる音の高さだけではありません。
何を伝えるためにその声を使うのか、そして声をどんな伴奏の中に置くのか。
デビュー前から2022年の制作までをたどると、歌い手としての変化が、音楽を作る立場の変化とも結びついて見えてきます。
低いロックの声から、高音を使う歌へ
本人が振り返る若い頃の歌声は、GACKTのような低い声でした。
発声練習を重ね、半年ほどで高音が出るようになると、歌い方も大きく変わったといいます。
声の可能性を広げた曲には、玉置浩二の「ワインレッドの心」もありました。
安全地帯の原曲とは異なる、玉置のソロ公演の歌唱に触れ、ロマンチックな表現や、R&B、ソウルに通じる声の使い方を学んだと語っています。
ただ高い音に届くことと、曲の表情を作ることは別の課題です。
彼がその曲を繰り返し歌ったのは、出せる声を増やすだけでなく、自分の声で何を表現できるかを探るためでした。
のちに知られるバラードの歌唱は、こうした試行の先にあります。
「home」で、生活の実感を歌にする
2013年、クリスは木山裕策の「home」をカバーしてデビューしました。
同年のアルバム『Heart Song』でも、日本の楽曲を取り上げています。
この頃の本人は、曲を歌う前に、その曲の背景や、聴き手の思い出を理解することを大切にしていました。
「home」には、仕事を終えて家に帰りたいと感じた、自分の日々の経験を重ねています。
名曲を、自分の声の大きさだけで塗り替えるわけではない。
もとの歌を大切にしてきた人が、どんな気持ちで聴くかを考え、その中に自分の実感を置く。
カバーを歌う際のこの順序が、彼の歌の土台になりました。
例えば「僕が一番欲しかったもの」では、自分のルーツも使いながら、J-POPとしての雰囲気を残すことを意識しています。
原曲の世界を守ることと、自分の持つ表現を入れることを、同時に考えていたのです。
2014年の『Heart Song II』では、その向き合い方に、聴き手とのやり取りが加わります。
歌詞の主人公になって歌うことに加え、ファンから届いた手紙を思い出して歌うようになったと説明しています。
自分の経験から出発した歌に、自分とは違う人生を送る人の感情も入ってきたのです。
「ラブ・ストーリーは突然に」についても、若い頃に魅力を感じたのはメロディーやグルーヴでしたが、この時の録音では、自分の気持ちと重なる歌として向き合ったといいます。
以前から知っている曲でも、歌う人の生活が変われば、歌詞の受け取り方まで変わっていました。

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2016年、励ます歌に自分の弱さも重ねる
『Song for You II』を発表した2016年には、最初のオリジナル盤との違いを、自分の気持ちを以前より見せられるようになったこととして語っています。
「僕はここで生きていく」は、その変化が表れた曲でした。
日本で暮らす自分の経験を歌にする一方、うまくいかないことも含めて現在を引き受ける。
誰かを元気にするために歌う時にも、励ます側がいつも迷いのない人でいる必要はない。
この時期の言葉には、聴き手と同じところから歌おうとする姿勢があります。
家族を題材にした歌についても、子どもが生まれる前は想像していた感情が、実感を伴うようになったと話しています。
これは、親になったから声質が変わった、という話ではありません。
同じ題材を歌う時の感情の置き方が変わった、という本人の説明です。
つんく♂が作曲した「Hold on to Heart」では、シンプルな旋律だからこそ、歌い方で曲の良さが変わると捉え、自分の結婚の経験を重ねて歌っています。
感情が具体的になることは、旋律の上で何を表すかを選ぶ支えにもなりました。
歌唱の変遷を考える時には、こうした変化も欠かせません。
発声の能力が増えることと、すでに持っている声に何を託すかが変わることは、分けて見る必要があります。
休止を経て、「I LOVE YOU」の強さを選び直す
2018年からの活動休止には、耳の不調や家族との時間、音楽を学び直したい思いがありました。
そして2020年版の「I LOVE YOU」では、以前は抑えていた力強さを出して歌ったと本人が明かしています。
新しい伴奏に合わせて歌のアプローチを変え、休止前より声が強くなったように感じたとも語っています。
ここで大切なのは、強い声になったという感想と、強く歌うことを選んだという判断の両方があることです。
同じ曲を歌い直す場合でも、音の高さが同じなら表現も同じ、とは限りません。
弱さを前に出す歌と、思いを押し出す歌では、聴き手に渡す感情の向きが違います。
この再録は、昔の歌を修正するというより、現在の自分から別の答えを出したものと捉えられます。

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『COMPLEX』では、声に合わせて曲を狭めない
2021年の『COMPLEX』では、作曲や編曲も広く手がけ、初めて自分でアルバム全体をプロデュースしました。
得意な声域や声の色に合うジャンルだけを先に決めず、自由に音楽を作ろうとした作品です。
本人が自分らしい曲として挙げたのは、歌を前面に出さない「波 feat. Nathan East」でした。
わずかなコーラスに加え、シンセの演奏やアレンジでも参加しています。
よく知られた歌声の先に、こうした音楽家としての顔も見える作品でした。
声の個性を生かすには、その声を最大限に目立たせる方法もあれば、周囲の音との関係を作る方法もあります。
このアルバムで編曲まで自分で担った意味は、後者を自分の判断で選べる点にあります。
歌を聞かせる場所も、歌が前に出ない場所も含めて、一つの作品を組み立てるようになりました。
2022年のツアーでも、『COMPLEX』の世界観に合わせて選曲やアレンジ、ステージングを考え直しています。
録音で試した幅広さを、従来のバラード中心の印象に収めず、ライブの形にまで広げた段階でした。
近い距離の歌も、高いキーでの共演も
2022年の『Christmas Hearts 2』では、録音した声をどう届けるかも自分で選んでいます。
「The Christmas Song」ではマイクに近づき、小さな部屋で歌うような雰囲気を求めました。
大きなステージで届く声を持つ人が、近い距離の歌も作る。
ここでも、声の強さを一方向に伸ばしたという説明だけでは足りません。
曲の中で必要な距離を選べることが、表現の幅になっています。
同じ2022年、May J.との「ロンリー・チャップリン」では、高音が共演の条件を支えました。
May J.は、自分に合うキーへ上げると男性側が高くなるため、クリスに歌ってほしかったと説明しています。
初期のバラードを形にした高音は、今度は、相手が自分らしく歌える場所を作る力にもなっていた。
小さく近づける歌と、高いキーを引き受ける歌が、同じ時期に共存していた点も、この歩みをよく表しています。
高音を手に入れたことは、大きな出発点でした。
けれど、その後の歩みで増えていったのは、高い音を出す機会だけではありません。
聴き手の人生を引き受ける歌、同じ曲を別の強さで歌う選択、伴奏ごと声の役割を決める制作へと、判断する範囲そのものが広がっています。
クリス・ハートの変化は、以前の声を捨てることではなく、声の使い道を自分で増やしてきた歩みとして見ると分かりやすいでしょう。
高音の美しさも、その中の大切な一つです。
曲ごとの声の選び方は、クリス・ハートの歌い方でも掘り下げています。

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