「地獄」の荒々しい声に、ふと繊細な表情がのぞく。
来夢の歌を聴いた佐野創太は、2020年の文章で、そうした声の移り変わりを記していた。
強さや激しさの中で、どんな声を聴かせるのか。
作品への感想と公演の記録、本人が語る制作の課題から、その声の使い方を見ていきたい。
「地獄」の公式ミュージックビデオ(2020年公開)。
「地獄」と「黒い雨」、強さの中にある異なる声
佐野の文章は、本人と公開で話す機会を持った後に書いた、歌声への感想だ。
「地獄」では、荒い声が、ふと弱さを想像させる繊細な声になる部分を挙げている。
HORIによる2025年の楽曲紹介では、同曲のサビの終わりの裏声、ファルセットを聴きどころに挙げていた。
強く歌っているところだけでなく、一節の終わりをどんな声で閉じるかにも、印象を変える働きがある。
荒々しさを保ったまま最後まで押し切るのか、違う質感の声へ移るのかは、聴き分けたいポイントだ。
佐野は「黒い雨」については、それ以前の曲よりも優しく響く声の中に、力強さも受け取っていた。
「黒い雨」の原曲公式ミュージックビデオ(2019年公開)。
二曲に見いだしたのは、荒々しさと優しさが、繊細さや力強さと同居する声だった。
佐野の受け取り方は、来夢の声を一つの印象で捉えるとこぼれる表情を、具体的な曲から教えてくれる。
「鬼」で思い描いた歌へ近づくために
その表情を出す本人も、頭にある歌をすべて思い通りに表せる、と話しているわけではない。
2024年の激ロックの取材では、「鬼」が、自分で書きながらも自分だけでは扱いきれない規模の曲になったと振り返っている。
歌については、田澤孝介に相談したという。
制作を終えた手応えは、頭の中の音を、以前よりずっと形にできたというものだった。
それでも、まだ表しきれていない部分があり、そこはこれからの努力次第だと話している。
激しく歌う姿の背後に、理想と今の歌との距離を見定め、別の歌い手に相談する作業がある。
この曲では、バンド以外の音を多く足さず、ピアノを中心とする少ない装飾で仕上げたことも、同じ取材で説明していた。
歌を取り巻く音が整理されるほど、一つの声の表情や、バンドとの呼吸も聞き取りやすくなる。
「鬼」の大きさは、音を大量に重ねることだけで作ろうとしたものではなかった。
同じ取材では、昔の曲から引き継いだ短い一節も、今回は当時とは違う相手へ向けて歌っていると話した。
同じ言葉でも、誰に向けるかを改めて捉えている。
「ストロベリー・ブルー」、深みのある声で呼びかける
別の場面の声は、びじゅなびに掲載された、2023年6月28日、恵比寿LIQUIDROOM公演のレポートが伝えている。
キズがfuzzy knotと行った2マンの記録だ。
「ストロベリー・ブルー」での来夢は、深みのある声で、客席を手招きするように呼びかけていたと描かれている。
「ストロベリー・ブルー」の原曲公式ミュージックビデオ(2021年公開)。
本文で触れる2023年の恵比寿LIQUIDROOM公演とは別の収録です。
ここでは、声の強さに加え、聴き手へ言葉を向ける調子が、歌の表情になっている。
この公演名「亞」の由来にも、歌にまつわる会話があった。
同じレポートを掲載したVifによると、来夢は、楽屋で田澤とミックスボイスの話をし、異なる母音を「あ」の感覚で捉える話題になったことを説明している。
これは二人が共有した声の感覚を示すエピソードで、来夢のすべての歌を一つの発声法に分類する説明ではない。
声をどう出すかを、母音の響きという具体的なところから話し合っていたことが興味深い。
深みのある呼びかけを聴かせる歌い手が、その声の出し方についても他の歌手と意見を交わしていたのである。

画像出典:画像掲載元
同じ舞台の中で、声の勢いと表情を変える
曲同士の違いが分かる記録として、2026年4月19日のKT Zepp YOKOHAMA公演も挙げられる。
VISUNAVI Japanのレポートでは、冒頭の「鳳凰」で、来夢が非常に強い勢いで歌い上げた様子が描かれている。
一方、「0」は、クリーンなギターの響きと、来夢の朗々とした歌で始まったと伝えている。
朗々と歌う、という評は、声を大きく響かせる印象を表す。
声に力があるという共通点があっても、切迫した勢いとして届くときと、旋律を広く聞かせるように受け取られるときがあるのだろう。
同じ公演の中にあるこの違いからも、来夢の強い声を一つの音色だけで括れないことが分かる。
さらに、本編最後の「R/E/D/」では、来夢の呼びかけで場内に合唱が起こったことも記されている。
自分の声だけで一曲を押し進める場面から、客席の声を受け取る場面へと、歌の担い手が広がっていく。
「ストロベリー・ブルー」の手招きするような調子と合わせると、来夢の歌には、相手を自分のほうへ引き寄せ、参加してもらう働きもある。
旋律を歌うことが好き、という本人の言葉
こうした声を使う本人は、どんな音楽を好むのか。
2022年の激ロックの取材で、来夢は、メロディを歌うのが好きだから歌謡曲が好きだと話していた。
ずっと続けてきたピアノによるクラシックの土台に、歌謡曲やヒップホップなど、自分の好きなものを集めたのがキズだという。
同じ取材では、当時の新曲に入れたラップにもメロディが混じっていると説明した。
歌とラップをきっちり分けるというより、好きな要素を一曲の中へ集めた結果、そうなったという話だった。
旋律を歌いたいという好みは、いわゆる歌謡曲のような曲だけに限られず、言葉をリズムに乗せる部分にも入り込んでいる。
ここからは、声の荒さと旋律への愛着を、別々に考えなくてよいことが分かる。
激しい声であってもメロディを聞かせ、ラップの中にも音の高低を残す。
どんな音色を選ぶかと、言葉をどんな節回しで運ぶかの両方が、来夢の表現を作っている。
歌える言葉を、そのまま歌い続けるとは限らない
言葉を届けることへの意識は、あえて歌わない選択にも表れている。
2024年のBARKSの取材で、来夢は、初期曲「おしまい」の中に、ある時期から歌うのをやめた歌詞があると話していた。
相手を救えないとする一節についての発言だった。
何度も歌ってきた曲でも、今の自分がその言葉をどう受け取るかを、歌う行為と切り離してはいない。
荒い声に何を乗せるか、優しい声で誰へ何を伝えるかを考えるとき、この姿勢も大切になる。
声の響きと、実際に口にする言葉の選択が、聞き手に届く一曲の表情をともに作っているのである。
荒々しい声、繊細な声、客席への呼びかけ。
それらの表情と、本人が好きだと語る旋律を歌うことを合わせて考えると、来夢の歌の聴きどころが見えてくる。
共演から別の歌い方を知り、今の歌に合わせて過去曲を録り直した過程は、来夢の歌唱変遷でたどっている。

こちらの記事もおすすめ

「一撃」から、今の歌に合わせて過去曲を録り直した2026年までをたどります。

本人は歌唱…

本人の説明から、葉月の発声の選択を見ていきます。



コメント