Iron Maidenで力強い高音を歌ってきたブルース・ディッキンソンが、2024年のソロアルバム『The Mandrake Project』に、約25年前の即興歌唱を残しました。
「Sonata (Immortal Beloved)」の声には、次に何を歌うか分からないためらいがあります。
年月を経て完成させた曲なのに、なぜ歌だけを滑らかに録り直さなかったのでしょうか。
答えを知るには、あの声が最初から完成していたと考えず、彼が歌に何を求めてきたかをたどる必要があります。
1980年代の象徴的な叫び、1990年代の意外な試み、そして古いテイクを採用した2024年の判断は、それぞれ違う声の使い道を示しています。
1981〜82年――強い声だけでは録音が終わらなかった
Iron Maidenに加入する前、ディッキンソンはSamsonのアルバム『Shock Tactics』を録りました。
その前作はバンド自身で制作していたため、経験ある外部のプロデューサーを迎えること自体が、録り方を見直す機会になりました。
1981年の制作でプロデューサーのトニー・プラットは、本人が予想していなかった声を引き出します。
周囲はその結果を喜んだ一方、ディッキンソン自身は気に入らなかったと後に振り返りました。
自分が出したい声と、録音を聴いた人が見いだす魅力は、初めから一致していたわけではありません。
翌年の「The Number of the Beast」でも、プロデューサーのマーティン・バーチは歌い出しに納得しませんでした。
最初の数行に人生を込めるよう求められ、ディッキンソンは何を望まれているのか分からず苛立ったといいます。
後に有名になる鋭い叫びの手前で、言葉をどう届けるかが問われていました。
当時の歌を高音だけで語ると、この録音現場の出来事が抜け落ちます。
大きな声を出せることと、その声を曲の場面にふさわしく使うことは、本人にとっても別の課題だったのです。

写真:Fernando Catalina Landa / CC BY 2.0
1994〜98年――得意な声から外れ、歌の選び方を増やした
Iron Maidenを離れた後の1994年、ソロアルバム『Balls to Picasso』には、壮大な旋律を歌う「Tears of the Dragon」と、ラップを取り入れた「Sacred Cowboys」が同居しました。
ラップを勧められたとき、ディッキンソンは自分がやるのかと驚いたそうです。
それでも試し、後年その録音を聴き直した際には好意的に語っています。
高く伸ばす歌ばかりを重ねるのでなく、言葉のリズムを前へ出す歌も選びました。
この公式映像は2025年に演奏を作り直した版ですが、本人によると歌は1994年の録音を使っています。
映像の公開年を、そのまま歌唱年とみなすことはできません。
この再構成では、ギターなどを加えて、本人が当初望んでいた重さに近づけました。
一方で歌は録り直さず、音程の補正もしていないと説明しています。
昔の歌に現在の演奏や音作りを合わせることで、当時の試みを別の形で届け直したのです。
1996年の『Skunkworks』も、ディッキンソン自身が歌について多くを学んだ作品として挙げています。
ただ、この移り変わりは、順調に声の引き出しを増やすだけの時間ではありませんでした。
『Skunkworks』の活動後には、音楽を職業として続けることまで考え直したといいます。
転機は、1994年の作品でも組んでいたロイ・Zからの電話でした。
「Accident of Birth」の導入を聴かされると、ディッキンソンは歌詞を書き、翌日にはロサンゼルスへ向かったと振り返っています。
得意なジャンルへ戻ったから元どおりになった、というだけではありません。
仲間から届いた曲に言葉が浮かび、もう一度作りたくなる。
このとき歌う気持ちを動かしたのは、目の前に現れた曲でした。
1997年の『Accident of Birth』を経て、翌年の『The Chemical Wedding』では、感情の深いところまで踏み込む必要を自覚したと語りました。
違う音楽を試した後に重い曲へ戻っても、以前の高音をただ繰り返すつもりではなかったのです。

写真:Andreas Gugau / CC BY 2.0
約25年前――次の言葉が決まらないまま歌った
「Sonata (Immortal Beloved)」の始まりは、2024年のアルバム制作よりずっと前にさかのぼります。
制作仲間のロイ・Zが、ベートーヴェンを描いた映画『不滅の恋/ベートーヴェン』に刺激を受けて伴奏を作りました。
ディッキンソンは暗いガレージにマイクを立て、目を閉じ、音から思い浮かんだ森の中の場面をそのまま歌います。
歌詞や旋律をすべて決めてから録ったテイクではありません。
本人は、最初の歌がためらって聞こえる理由を、次に何を歌うか自分にも分からなかったからだと説明しています。
これは高い音が出せずに迷った声ではありません。
頭の中に見えてきた景色を追いながら、まだない言葉を探す声でした。
やがて歌に与えた物語は、単純に愛が死を乗り越える話でもありませんでした。
ディッキンソンが説明したのは、亡くなった王妃を戻そうとする王と、その願いを許さない死の使いです。
王にとって彼女は、自分が王であり続けるために必要な存在でした。
声のためらいを含むこの曲には、強い人物が勝ち誇る場面とは違う、不安や身勝手さまで入る余地がありました。
当時はそのままアルバムにならず、録音は長く残されます。
後年、その歌を聴いた当時の恋人、現在の妻は強く心を動かされ、作品に入れるよう勧めました。
その反応を受け、ディッキンソンも曲を見直します。
2024年――完成させても、最初の歌を消さなかった
『The Mandrake Project』に収める際には、足りなかった歌詞や曲の物語を補いました。
それでもディッキンソンによれば、完成した歌の約8割は約25年前の一度きりの即興テイクです。
2024年発売の曲ですが、その大部分を2024年の新しい声として1982年の歌と比較することはできません。
残したのは、歌だけではありません。
完成時には実際のドラム演奏を加えながら、古いドラムマシンの音も消さずに使いました。
本人によると、その機械らしい音も最初の雰囲気の一部だったからです。
ギターや鍵盤も足しましたが、手を入れすぎて初めの感触を壊さないよう、変更のたびに確かめていました。
本人は、この最初の歌には、もう一度やろうとしても再現できない表情があると考えています。
技術的に完璧かどうかと、その曲に必要な雰囲気を持つかどうかも分けて話します。
録り直してためらいを取り除けば、曲を探しながら歌った瞬間まで失われる。
長い時間を経て変わったのは、昔の声そのものではなく、どのテイクを完成版に残すかという判断でした。
2024年の取材でも、ディッキンソンは力強い声を自分の長所と認めています。
一方で、高さや長さを競うことだけを歌の目標にはしていません。
一曲の中で声の役割をどう変えるかは、ブルース・ディッキンソンの歌い方で取り上げています。
1982年には歌い出しの表情を求められ、1994年には意外な歌い方を試し、2024年には未完成だった頃の声を作品の中心に残しました。
「Sonata」を歌い直さなかったのは、過去の自分に今の技術で勝とうとするためではありません。
その場で次の言葉を探していた声が、この曲の感情を伝えると判断したからです。

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